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どことなく、それとなく

我が身の程を知ることなしに私は、満されたお腹を下り坂の風に委ねようとしていた。あてもない消化の務めは虚しい。こんなに食べることはなかったのに、という思いを匂わせて、雨の衝と降り切った夜道を黙々と歩いていく。とある感情を毎日身体で満たされなければならないことなんて、あるものか。そんなことなら溶け切らない異物でも流し込んで、我が身の住人としたほうが良さそうな気さえする。満足はとても良いことなのだが怠けたソレとなると私の行く先きはだらしのない無に等しい。私はこういった半端な自己嫌悪を繰り返してはここ数年を生きていたのだった。部屋に帰り着くと扉は無言、呆れたような静けさだ。漂うものは事後の風、通りが悪く、気怠さがある。この部屋の見えない足跡を辿って、使い古した椅子に座って、それから耳にイヤフォンを足して音楽を流す。土着の色の楽調に、透明標本よろしく心を染めて。何も生ぜしめない足取りで時を過ごす心地は、それに気付かないと判らないものだった。本当に無。空を裸で飛んだって何にも楽しくなんかないだろう、どうして裸で飛ぶのかは分からないけれど、そんな思いがする。飛行機で飛んだ方が格別なのだ、其奴らの違いは少なくとも私には明確だった。裸で楽しいのは、地に足の着いているときに限るだろう。何も無いという、この妙な物言いを私は形而上に譲りたくはないなと思った。私にとって純粋な無だなんて有り得ない。そうか、ハア、溜め息。こうした毎日が私を気紛れに向かわせるとしたら、その行き着くところは目に見えて倦怠。気紛れの部屋と云えば、気分の良い時こそはその緩み足りた生活を最上のものと思わせる、そんな風を寄越し、気分の悪い時となると嵐の最中の家屋さながら、脆くて忙しない。その魅力と謂えば、概して楽である、というだけに過ぎない。無に帰しては只今をいう、そんな毎日が、私のソレであった。そこで人々は変わらなければならないと思うだろうし、私にも同じことを言うだろうが、それもまた耳障りがして、余計なお世話以上のものでなかった。かくある生活の屋根に登って私が夜毎眺めているものは、そんな気取りの臭い言葉の星々でなくて、それらを丸ごと呑み込んでしまう夜空そのものだった。牛乳を飲み切った後の、コップの底でもよい。何奴にせよ、私が絞り出す気でいるものは、私自身のなかにある。それ以外に対しては酷も無関心でありたいのだが、私は上手い術を知らないでいるのだ。

道端で

あ、卑屈。