巨大な岩陰に立つあの人は、其処に隠れて大いなる海を静かに見通していた。私は彼の人を知っていた。物静かで何を考えているのか分からない、ひとり沈黙の中で涙を流すような、そういう人だ。あのような人を見ていると、私は自分と同じ人間を見ているような気がしない。そしてこれは決して私だけじゃなかった、私の通う大学の多くの人が、何か見慣れぬものでも見るようにしてあの人の様子を長い間伺っていた。陽気な好奇心に勝って緊張感のある不安が私たちとあの人の間の心の橋を風となって揺らしている。海辺よりほど近い私の住む町が新年を迎えて朗らかに賑わっていた頃、あの人も同じく人交う町を歩いて楽しそうにしてあったが、珍しくそのほんの僅かな感情が霞んで顕れるのに私は敏感になっていた。それは時に人の魅力のように思えたが一方で恐怖心を起こす人の心の洞窟である。私はこの人へ関心を抱く必要の全くない事をそれから悟った。人の闇を照らす明かりなど私とて持ってやいない。以来、恐らく数ヶ月のあいだ私はあの人のことを忘れかけていたのだが、この日この海辺でちょうど見つけてしまった。それも随分と感慨深い状況である。海は広く、大きい。深く快く眠っているような海の静寂が私を引き止めている。それに対峙するあの人は、これから何をするつもりなのだろう、きっと何もしない、親しい友人はいるのだろうか、どういった会話をするのだろう、などと他愛ない想念を働かせて私を手持ち無沙汰にする。人間誰もが一日に一度や二度は可笑しな事をする、という何方かの言葉を憶い出したとき、私の視界は少しばかり澄んで見えるような気さえした。大学の講義で教わった事の暗唱でもしているのかもしれない。静かな時で熟した果実はおのが才分を溢れんばかりに宿すと云う。 彼の人が猛然たる大波に呑まれてそれでも立ち続けるというのなら、その時、私は独りの人間を見るだろう。なあ、君も予感しているのだろう。私と同じものを。