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ひざしとまなざし

最近、或る友人に呼ばれて共に何をしでかすと思えば、会うより前に彼から人間として極めて粗略に扱われ、それはとても虚しい気持ちを与えたが、にも関わらず、私は依然としているようだ。


何事にも動じない心など彼方の話で、或る動揺を経験すると結局何かしら考えてしまうのであり、これは私の癖でもあるが、消去できる癖ではない、謂わば性質であって、元々この地には妄想という妄な草が茂っていて、私はそれをどうにかしたいと思い、人間達が遠く何処かで知恵の種蒔きをしたり、知恵の砂漠を越えるあいだ、私はこの天然草のことを考え続け、それでも私は今でさえ改善を思うのだが、その草叢に輝く純然たる秩序の芽がひとつ、確かに見出されるのを知り、それは生に対する人間の根本的強さを思わせ、ひとたびそれが在ると知れば、それだけで充分だと思うほど、燦燦たる陽天に呼応する此の地を、その豊穣なる果てをまで、存分に思い知るのである。



不動の心などとはあり得ぬ。このまた最近の所縁で卓見の人の言うよう、幾百条の水脈の、婉然たる流れのように私は悩むのだろうと、のべつ幕無し忙しなく雨の降り、天地万来のオオツヅミに木霊して、とこしえのまなざしを咲かせよう。