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土俗の世界

穴を穿ちて見る景色、色遣いは冷めて、人気はない。私は一瞬、奥の坂道を自転車に乗った女の子が下るのを見たが、彼女はすぐに辻道を東に曲がった。風はその女の子を見失ったというように、四方見渡すばかりも手持ち無沙汰で忽ち消えてしまい、先ほど目に映った閑静な午後が戻ってきたのであった。外へ出るのも嫌気がさした。塞ぐように穴ぼこを背にして、そうして私はまた俯いて足元を見るのだが、見たくて見るのでもなかった。外から雨粒の跳ねる音が聞こえた。私はもう一度、細い光と小さな埃の通路に目を遣った。確かに雨が降り始めていた。暫くその経過を観察しようと、無言で、真面目な顔をして凝然としていた。


小さな丘に起つ巌の中に、私は居棲している。住宅が並ぶ其の丘に谷底へ急落するような坂道があり、そこをすぐに降ると町の広い十字路に衝き当たる。さらに奥へ目を向けるとおだやかに長い坂道があり、向かいの丘の、ここから見える一番高い建物は細長い尖塔を輝かせている基督教の教会だろう。私はそれ以外の景色を知らないが、太陽と月とが繰り為す影絵は万来無限にひとしくあった。


私は卓上の指環を手にとって雨の音に照らしてみた。彼方の独逸から態々買い寄せたニッシングの指環の、極めて繊細に洗練されたダイヤは奥間の本棚をそのまま吸収すると、私に掴み所のない智識と記憶を醸し出す。それらの多くは私と殆ど関わることもなく、唯々本棚を埋めているというだけの、或いは余分な夢想を抑制するに効く現実の物体であった。埃が被さるとそれは秋の墓石に似て、思い出されることと云えばその物を前にしては何もなく、侘しさや時の移ろいを感じるだけで、併しそれがまた、棚の幾らかの重要な本と私とを結ぶひとつの舞台となるのである。埃のまた少しばかり巨大になったのもあるようだ。背表紙を極小さな虫が這いまわると、第二幕の頁に潜り込んだ。


雨の様子と云えば今や調子は整ったという風で、私はそれで今日は雨の日なのだろうと思った。覗き穴から射し込む光が美しい。私は初めて外へ出てみようと思った。午後の太陽が極度の心配からまるで子どもの様子を覗き込むように、雨の日の広い雲のあいまから町を伺おうとしている。