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深夜

夜寝て夜起きる、それが彼の生活であったとき、間欠的に繰る本の頁が八畳部屋の夜を支配していた。波が常にあるように、人の寝静まった時間を一人で起きていると、それが朝や夜など、ある一日の時間帯だと思えなかった。一日と一日の狭間に座す混沌だと思えば、それが彼の些細な物事に一々囚われない感情と一致するということから彼はその考えを採用し、またそれでいくらか過ごしやすい気さえするのだった。意識することはなかったが、深夜は彼にとって最も居心地の良いひとときに違いないのである。部屋の窓に忍び込む月の光が最近の五月晴れを想起させる。あれだけ晴れたら梅雨ということも忘れるだろうと思ったのも確かで、やはり梅雨のど真ん中にいるというのを少なからず忘れているようすで窓を大々に開け扇風機をまわし、ベッドの上も身につけるものも常識が許す限り簡素にして寝そべっていた。手が届く範囲で最も重いものといえばまさに彼が読んでいる本だが、風の舞い込むのが手を添えた本の頁のひょっとした重さで分かる。それがなんとも軽やかで美しい。寝そべって姿勢を変えながら本を読む癖は子どもからのもので、そのくせ最も持久性のある状態は知らなかったが、最も心の癒される姿勢といえば仰向けだった。それは夜空が見えるからで、今や月が久しく顔を出していて、まるで恋仲の男の子と女の子が授業中にするように、時にちらりと目を合わすのだった。

彼の住む町は大きな静寂の眠りに就ていた。家庭用電気機器のランプが点いたままだったり点滅したり、マンションの入口もそれにいくらかの高級感を与えるような入口の照明も同じように消えず、この町の有用性が隅々まで大いに満たされていることを示す一方で、横断歩道の信号機は自分の使命を半ば諦めのていで赤信号のままである。マンションの入口から丸く歪に肥ったごみ袋を片手に明日を予感させる身なりをして女が出てくるくらいで外はどこも人気はないにしろ、マンションやアパートの窓からぶちぶちと人間の多様な生活が漏れていた。地に溜まったノイズと対照的に澄んだ空を雲が控え目に漂っている。わけて目立つものもない夜空が人々を安心させるのだろう。それを知っていた月も余計な虚飾を避けるようにただくっきりとした様子にみえる。晴天の暑い午後と異なって少し熱気を含んでいたものの穏やかに心地良い大風が町を滑っていた。辻道を分かれた青い風が彼の部屋の窓に入り込むと、彼の白い腕をやさしく撫で、開いて置かれた本をいたずら気味に散らしていった。仰向けになって天井をながめていた彼は風の軌道を追うように窓の外を見遣った。