夏が好む原色さながらの景色という点でも、人間の軽やかな服装という点でも、夏の装いがますます刺激的になってみれば、通り過ぎる見知らぬ女性たちを見て、見目形麗しいだけでなく、たとえその姿にこれといった魅力を感じないとか、或いはその姿が不快感を与えるようでも、それぞれの性交をぼんやりと思い描いてみた日があった。その都度、人間は可愛らしいと思う。誰もが誰かに愛され得るのだ、とそうして納得する。性交は私の乏しい想像力がこしらえた一つの型であるのを知っているから、愛情の豊かな可能性が誰の表情にも潜んでいるのだろうと予想する。
だからといって、一人の人間を絶対的な伴侶として位置づけるようにわざわざ命じられたわけでもないにせよ、或る誰かを好きになり、誰かを愛し、誰かに恋することに変わりない。従って、私は然るべき可能性がその人にもやはり存することを確認するだけで、依然として、私と相手の魂の距離は身体で感じるそれよりいっそう遥かに遠いのである。この知り合うことのない心身の距離感は、むさ苦しい夏が汗をして人間を不快にさせて止まないときには、幾分潔いとさえ思えるものである。