しかし、それでも満足しない、それでも他人の生き方に常に魅了され、己れもああして生きていたいと思うならば、それは素敵な悩みに違いないし、それは自身の墓場まで伴するような悩みであろう。
特殊な生について
緊張感のない生活では自己の欲求を満たせない、従って生に満足できない人間がいる。いわゆる、自分を追い込むということでしか生きることのできない人間がいるのである。私もまたそうであると思う。緊張感はしばしば誰かによって、誰かの指示や誘導によって与えられるが、私が自由を好む人間であることを鑑みれば、単に隷属的関係を求めているという観察はすぐに拒否される、また彼らによって与えられる緊張感というものが過分で異質なものに思え、時に重圧と感じられるときさえあり、どうかして私は飽き飽きしてしまう。自由という尊い地層を対象にするとき、私には人間としての制約や経験の制約が自ずと与えられてあり、それも日々与えられ続けるが、私はそれを早々と隷属的だと見なしたりはしない。それと同じで、自分を追い込むことによって己れの自由を奪っているなどとは言わないだろう。むしろそれは自分の生を満たし、他にも考えられたであろう無数の魅力的な生き方と同じように自由であるということを明らかに示してくれるものなのである。老練の達人が都合良くそうした悩みを解決している風にみえ、また彼らが老いるほど彼ら自身熟練の炎を未だ宿らせているのを見れば、あなたは安心して己れの生を全うしてもよいのである。
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otonarikaminari