自分の顔
彼は突に髪をあげるなどして顔を隅々まで顕すと、その顔を目の前の水鏡で眺めた。翳りのない幼い顔である。右手で頬を捺さえながら伸ばして、その変形した顔を又も眺めた。幾分、魅力的である。彼は自分の顔に対して、嫌いとも好きだとも思わない、思いたくないとも考えていた。どうしてか、と私が尋ねてみた時には、彼から発せられた返事とならない言葉がまるで初見様の鳩のように思われた。近づいて掴もうにも、早々に飛び去っていく。その先き行方知らず、なんて。「なぜ?」人間なのだから好き嫌いを思わないはずもない、私にもそれは分かっていた、それなら、どうして思いたくないのだろう、私は彼の俯きがちの、沈思と覚束ない横顔を傍目にそう尋ねた。「どちらも辛いですから。」と応えた彼は顔を上げて、そのとき、彼の視線は遠くへ延びていった。私は彼がおかしい、と思った。余計であると思っていた。彼にはー恐らくどの人間においてもー自分の顔を好きな時と、自分の顔を嫌いな時とがあって、その間の淵にこそ、彼の傾向があるのでないかと、思わずにはいられなかった。彼は外見に消極的な、或いは歪な形で拘り過ぎているのだ。顔の可愛いなどと褒めそやせば、瞬く間に甘えんばかりとなる人間なのだ。愛おしいが、脆い。私は彼の目の前に現われた。どんな人間も魅力的な部分を顔に見出すことが出来る、そう思っている自分が、どうして彼の顔を見ると、その愛らしさに取り憑かれてしまうのか。彼の魅力の故に、では決してない。だとしたら、なぜ?
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otonarikaminari
独り
寂寥の時を紛らわそうと、私は身体の中のものを出そうとする。私を守るように、汗が体全体に広がるのを鋭敏に感じる。快感が衝と身を突き起こす。私の眼の先きにあるような、魅惑的な幻。終いには消え去ってしまう先導の天使たち、何処まで深く、私を至らしめるのか、そうして、何処へ?恍惚、目眩、時間は透明となったように見えてこない......
こうしていても、お望みの喜悦とやらは遣ってこない。分かってはいるが、感情の表出を別の形で紛らわす、それで救われることもあって、そう思うと、前進という意志の下に掲げられる精神が、その意志を充分に満たすなどと云うことは必ずしも有り得ない。私は如何なる人間に対しても真面目な判断を心がける。要するに其処では、誰もが私以上であることは決してない。私は自分の中の全てを出し尽くしたく、そう思うと今日は、どうも抑制が効かない、抑々その必要を知らない。なるだけの残滓を一日と云う今日が吸い尽くしてくれないだろうか。唯々そう思って陽のもと月光のもと、私は精力を欠いた為体をして、寂しさと不安から免れようとしている。私に付き纏う人生、萬彩の人生が、鬱陶しい。と、私の魂はそう言うが、私の身体はそれへ関与すべきでない。しかし、どうやって。
大きな羽をひろげて夜が来た。ふたたび、彼処の悦楽が微笑んでいる。私が求めているものの、幻影が。
こうしていても、お望みの喜悦とやらは遣ってこない。分かってはいるが、感情の表出を別の形で紛らわす、それで救われることもあって、そう思うと、前進という意志の下に掲げられる精神が、その意志を充分に満たすなどと云うことは必ずしも有り得ない。私は如何なる人間に対しても真面目な判断を心がける。要するに其処では、誰もが私以上であることは決してない。私は自分の中の全てを出し尽くしたく、そう思うと今日は、どうも抑制が効かない、抑々その必要を知らない。なるだけの残滓を一日と云う今日が吸い尽くしてくれないだろうか。唯々そう思って陽のもと月光のもと、私は精力を欠いた為体をして、寂しさと不安から免れようとしている。私に付き纏う人生、萬彩の人生が、鬱陶しい。と、私の魂はそう言うが、私の身体はそれへ関与すべきでない。しかし、どうやって。
大きな羽をひろげて夜が来た。ふたたび、彼処の悦楽が微笑んでいる。私が求めているものの、幻影が。
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otonarikaminari
寒い朝
寒い季節になると朝のマラソンマンの走る音が聞こえてくる。彼はきっと橋を渡っていて、午前五時の朝陽の染める蒼い空を眺めることなく、見慣れたように横目にして、せっせと息を吐いて橋を過ぎる。彼の音以外は何も聞こえない。目が覚めると、鳥の鳴き声が聞こえる。起き上がる時に靴下を履く。アラームを止める。朝には独特な忙しさがある。外の人気を感じながら、自分の肌の感触を確かめる。昨夜から、よく寝たらしい。読みかけの本はぐったりと、まだ眠ったままである。
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otonarikaminari
寒い夜
月も雲の衣に隠れたか。夜空は寂しい。
人気のなくなった通りを買物袋下げて、
待ち焦がれて静閑たる木立の通りを歩いていく。
何を待っているかは知らないが、
ものを言いたそうな様子をして、
そうしてずっと吐息を張らす。
何か言葉にしてごらん、と、それから、
貴方の言葉を聞いてみたい、と言った。
それにしても、今日は寒い夜だった。
町の広い空を見ながら、
自分の足音だけを聞いて歩き、急に立ち止まって、
水面の波のように音が余韻を落とすとき、
わっと出てくるものがあった。
それからまた歩き続けた。
足りないものを補おうとして、
黙々と夜は過ぎていくのだろうか。
フィナーレはいつも、遠くで鳴っている。
人気のなくなった通りを買物袋下げて、
待ち焦がれて静閑たる木立の通りを歩いていく。
何を待っているかは知らないが、
ものを言いたそうな様子をして、
そうしてずっと吐息を張らす。
何か言葉にしてごらん、と、それから、
貴方の言葉を聞いてみたい、と言った。
それにしても、今日は寒い夜だった。
町の広い空を見ながら、
自分の足音だけを聞いて歩き、急に立ち止まって、
水面の波のように音が余韻を落とすとき、
わっと出てくるものがあった。
それからまた歩き続けた。
足りないものを補おうとして、
黙々と夜は過ぎていくのだろうか。
フィナーレはいつも、遠くで鳴っている。
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otonarikaminari
星廻る
いつになく夜更かしをした。淡く青空をカーテンの隙間から覗くことが出来る。今日は一体、何をしようか。いま一つ気付いたこと、夜の寂しさは寝れば治まると思っていたが、寝なくたって治まるもんだな。私は朝を知っているので、夜がいつまでも続くことはない。私もまた、星のように、巡りめぐって動いている。だけど、寂しい夜をいつも通るわけじゃない。きっとそれは星の涙。瞑目したら願いごとをしよう、そういうものだ。いつもそれを忘れちゃうけれど、人間が夜空の星へ手を伸ばすみたいに、そして決して掴み得ないのと同じことなのだろう。
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otonarikaminari
Beautiful World
いかんせん、わたしはあいつが嫌いだ。
だけどあいつはもはや、わたしの射程範囲。
トイレから出てきてほっとしてるときがちょうどいいかもね。
なんだって、あいつの言うこと、すること、全て排便の代替なんだから。
根源的で最高の瞬間を終えてすぐが良いに決まってるわ。
わたしはあいつの尊厳を軽蔑したりしない。
それでそのまま、あいつも土に還そうと思うの。素敵でしょ。
あいつにはもっと土様の気持ちが必要なのよ。
余計なお世話なんかじゃなくて、ああいう事するんだから、
それを必要とするのはなにもおかしなことじゃない。
でも、それも無駄なんだろうなー。
見えるものを見えないって言ってるような感じ。
あーあ。わたしもこんなこと、はやくやめるべきね。
だけどあいつはもはや、わたしの射程範囲。
トイレから出てきてほっとしてるときがちょうどいいかもね。
なんだって、あいつの言うこと、すること、全て排便の代替なんだから。
根源的で最高の瞬間を終えてすぐが良いに決まってるわ。
わたしはあいつの尊厳を軽蔑したりしない。
それでそのまま、あいつも土に還そうと思うの。素敵でしょ。
あいつにはもっと土様の気持ちが必要なのよ。
余計なお世話なんかじゃなくて、ああいう事するんだから、
それを必要とするのはなにもおかしなことじゃない。
でも、それも無駄なんだろうなー。
見えるものを見えないって言ってるような感じ。
あーあ。わたしもこんなこと、はやくやめるべきね。
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otonarikaminari
情熱
夜の淵の息遣い、
そのリズムはかつての、
いやそれ以上に巨きな、
運命の足跡を刻むように、
力強く、然れど静かで音もなく、
光もない、情熱の核動。
微細な孔洞に臆病な手を入れて、
刹那に燃え失せる感触を確かめよ、
君に相応しい、高貴な消失を。
そのリズムはかつての、
いやそれ以上に巨きな、
運命の足跡を刻むように、
力強く、然れど静かで音もなく、
光もない、情熱の核動。
微細な孔洞に臆病な手を入れて、
刹那に燃え失せる感触を確かめよ、
君に相応しい、高貴な消失を。
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otonarikaminari
焦り
もう居たのか? 気楽に待つことも出来ない愚かな焦りから脂が丸出しだ。
ほれ、このとおり。まもなく干魃を祝う虫けらどもが足元から躍り出ようか?
花もなければ、万世に輝き絶えぬ泉もない、それからどう生き延びる?
御前は豊穣たるべき土地を失ったのだ。
そうやって夢が此処にあると思うから、
御前はいつまでも寝つけやしないのだ。
こうやって砂を丸ごと掴もうとしたら、
御前はどこまでも砂漠を歩き廻るのだ。
砂漠だって立派な大地だ、といったところで若返るわけもないのだが、 偶然に瞬く無数の光を見たといって、走り過ぎると今度は本当に血を吸われるぞ。御前のそのなけなしの血でさえ、この大地、この悪魔は御馳走になる。御前はまだ、花の咲く静けさを知らない。
ほれ、このとおり。まもなく干魃を祝う虫けらどもが足元から躍り出ようか?
花もなければ、万世に輝き絶えぬ泉もない、それからどう生き延びる?
御前は豊穣たるべき土地を失ったのだ。
そうやって夢が此処にあると思うから、
御前はいつまでも寝つけやしないのだ。
こうやって砂を丸ごと掴もうとしたら、
御前はどこまでも砂漠を歩き廻るのだ。
砂漠だって立派な大地だ、といったところで若返るわけもないのだが、 偶然に瞬く無数の光を見たといって、走り過ぎると今度は本当に血を吸われるぞ。御前のそのなけなしの血でさえ、この大地、この悪魔は御馳走になる。御前はまだ、花の咲く静けさを知らない。
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otonarikaminari
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