さ迷う
冷たい風は雨を呼ぶ。夜街の明かりは人々を照らしているが、ただのそれだけでさも無関心のようである。其処では何もが同じであるかと思われた。間に合う笑みを交わす人々、恋人同士はできる限り寄り合おうと努める、そうした連中の間に先きを急ぐ面持ちで抜ける人がいる。如何に興味の視線を遣ったところで、私自身、その先きの対象を見失ってしまう気がした。この都会が多くの加減を知り得ないものであることに、時折私はうんざりする。我こそは、と思う人間だけじゃない、此処には、ただのそうした言葉を聞くだけで宝探しの如く喜ぶ人間がいる。私は彼らが見当違いの言葉を交わし合う卓上の空気に飽き果てる。かといって窓から街の光景を見遣ったところで、彼らのその洒落た服飾とは全く違った無気力な歩みだけが気になってくるという調子なのだ。頼もしい装飾がまるで人間の動物的な欲を剥き出しにしている、と開放的な社交での忍びやかに人影の狂変する様が、私の信疑をじりじりと擽る。しかし人はいつもなに食わぬ態度だ。それで私も素知らぬ顔をして、私の思い違いを考慮する羽目になる。幾時の思考を経て、すっかり私も街の人間だと思う。自身の欲望は自ずと隠れるもので、そうでなければ決して私は洒落っ気のある店に、自分と同じくらいの若者が寄り道をすることなく真面目に来たがるようなお店に入ることもできやしないだろう。予約をするには俗に充ちて、それだから心持ち、しれっと恋人との予定に組み込んで得意気にやって来るのだ。こう迄思い至ると、街の連中が如何に粗雑にも自惚れてあろうが、私もまた同様の程度であろうが、もはやそれらは無縁である。雨がしとしと雪のように冷たく肌に当たると、私は嫌気から帰宅の足を早めた。毒のように身体へ染み込む光の、夜ならぬ街なかを人間の精神が敢えて眩惑の羽もて飛びまわる。
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otonarikaminari
明徹、此処に見る
私の企てた消火はその途方もない火炎に比べて派手やかなものでなかった。私は生の小径を蔽う万朶の言葉を燃やし尽くし、そこでわずかに輝いていたものを拾い上げた。決して死ではない、生であったか、否である。なんの変哲もない、ひとつの蕾であった。私が知る限りでは、かつて生の輝きを放っていたものも、己の肺を詰まらせてしまった。太陽にすがろうと、不明瞭な光のなかで彷徨を繰り返しているものだ。
人間が如何に彼らの心を虜にしようとも彼らはそれはダメだと、思ってしまう。冷徹にその矢を避けようとするのでなく、自分から蠅のように小さくなるのだ。
垣間見える微かな輝きさえ、怖れるばかりに。身を取り巻いていた砂嵐は、久遠の星となる。生死以前に私は花の咲くを熟眺めなければならない。確かに認めてはあったもの、しかし遊惰に浮く生意気を削り落とそうと私は生半な態度を許さない。星屑が我がまなこの千尋を飛び交う、深底に死の梯子があるとして、私はやはり其処からの眺めを此処へは持って来れやしないだろう。
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otonarikaminari
流れる
昨晩はたくさん泣いた。本当に泣くときって、こんなに無我になって涙が溢れ、過呼吸は止め処なく、止むを得ずというような勢いで、たくさん泣くのだなとなんだかとても久しい思いもする。まるで嵐が来て雨が降り、雷が轟けば風が皮膚を引っ掻いて、思う間なしの大嵐が空白の永い時を連れてくる。何もが落ち着くころには、身体は本当に無気力で、メールが来ても見ることができず、ただ薄ぼんやりと目を開けて、次第、次第に身体ごと閉じていく。本当に落ち着くと、嵐の去った後の美しさがある。そのとき、泣いているあいだ自分が何を見ていたのか、分かる気がする。そのとき恋人を確かに思っていたけれど、自分はきっと感情の本当を見たように今は思う。自分自身の感情と向き合っていた気がする。嵐の中で私は、私自身と闘っていたのかもしれないという、幾何学模様に寄せる信頼に似たものを感じていたに違いない。それから、太陽が昇って花が咲くように自然と瞑目した私は、無気力のまま眠りに就いた。嵐の中で私と遭い、私と闘った者の眠りだ。目を醒ますとやわらかい風が大地を滑り、嵐の去った後の美しい静けさに、落ち着いた心の吐く息に、瞼を赤くした私は包まれていた。太陽が赤児を抱くように。
約束を破られて、ただそれだけなのに、ただのそれだけで、自分の感情は激しく起こってしまった。悲しいとか寂しいとかよりは、何とも言えない大きな感情が些細なことで激しく沸き起こる、そして太陽が昇るころには既に落ち着いている強さもある、だけど、他人の情とは凡そ無関係に繰り返されるだろうこの自然の感情を思うと、どうかして、生きるのも億劫になってきた。
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otonarikaminari
郷里
私は郷里へ帰った。東京から新幹線に乗って。夜中に到着してそれからすぐ家へ向かおうと久しぶりの電車に乗ったとき、何処からともなく聞こえてくる方言に懐かしく反応するのを良いと思った。嬉しくなって微笑みそうになる。周りに見える人々を近しい人として思うのも、私がこの郷里というものを思い出しているからだろう。この今日に特別な電車は、まっすぐに、迷いなく、私を安心の底へと運んでいく。電車から降りると見慣れた未知の風景がある。誰か知った人と遭遇しないだろうか、という期待が私の胸のうちに潜んでいたが、それは誰も居ない夜道を歩くうちに家族の面影へと変わっていった。かつて住み慣れた家の灯りだけが全く消えているような、そういう気がした。私が玄関を開けると、電灯が囲いの中の全てを明かすだろう。また物に溢れ、人の忙しき合間から雪崩れ込んだように隙間なく要らぬ物の重なっているのが決まって見えるのだ。夜の大翼が木材の唸りをきっと起こす。「カサブランカ」のDVDが机に置いてある。芥川龍之介の全集や川端康成の著作などが棚に手当たり次第で置かれている。そのくせ、十八史略や太平記の並べ方は格好が良い。東京で彼是を経験した私は雑多な物の中からコイツ ーというのは家のことだがー
の性格を少しばかり知り始める。祖父母の家の財産整理をしてる時のあの発見というものは心の躍るものである。私の生まれ育った家でそういう体験をするというのはなんだか可笑しい。何れ程に慣れた場所の中であれ、人生これから知ることの方がきっと大きくて良い胸をしている。私は其処へ走って鈍と頭でも打っては如何だろう。尻餅の格好になったら、そのとき何を見るだろう。しかし、見知らぬ場所が私を待っている。恐らく其処は郷里と違って電気が見境なく無数の神経となって目の前を走っている。巨大なモンスターが私を呑み込むなら、私は其奴の変梃なお尻や鼻などの穴から出たいと思う。私を呑み込んでしまうような、そういう怪物というものを私以外の誰が生みだせるというのだろう。もう私は眠くなってしまったのでこの辺で続けるのを止しておこう。いつ帰ってきたのかも、すっかり忘れてしまった。
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otonarikaminari
私の声
妨げるなよ風!
意志が忽忽と作り上げる道を、
その眼に焼き刻め。
意志が忽忽と作り上げる道を、
その眼に焼き刻め。
大地の瞼が閉じられ、
真っ暗闇の思念の渦にのらり巻かれるあの自信を、
誰が邪魔だと捨て得よう。
あれこそが......
真っ暗闇の思念の渦にのらり巻かれるあの自信を、
誰が邪魔だと捨て得よう。
あれこそが......
おまえなのだ。
あれこそが......
あれこそが......
わたしなのだ。
その眼に刻み込め!
無辺に渡る砂漠とてその潤いの従者であり、
灼熱の躍る大波の、
その牙をさえ全くのガラクタにしてしまう。
揺るぎなく歪にもなれない小石のような自信が、
太陽と微笑み交わすとき、
おまえもわたしもその美しさのなかで、
いつや踏んだも分からない道の欠片を、
器用も不器用もなく、
憧れも軽蔑もなく、
紡ぎ始めるのだ。
その眼に刻み込め!
無辺に渡る砂漠とてその潤いの従者であり、
灼熱の躍る大波の、
その牙をさえ全くのガラクタにしてしまう。
揺るぎなく歪にもなれない小石のような自信が、
太陽と微笑み交わすとき、
おまえもわたしもその美しさのなかで、
いつや踏んだも分からない道の欠片を、
器用も不器用もなく、
憧れも軽蔑もなく、
紡ぎ始めるのだ。
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無尽の瞳
君の瞳を覗けば、まるで絵画。
そこに山があれば私は旅人となり、
そこに畠があれば私は愉快な小童となり、
そこに海があれば私は明日に黄昏れる青年となる。
旅人は振り向くことなくただ先を歩み、
小童は無我にひたすら飛ぶ鳥を追いかけ、
青年はぼんやりと日没のうちに明日をみる。
私が旅人となれば人は彼自身の影を憂い、
私が小童となれば人は情欲に足踏みし、
私が青年となれば人は土を掘り返す。
旅人の行く先鋭に乱散の風裂く陽天の船首ありて、
小童の駆ける空に色濃く染むる夕べ模様、
青年の燃ゆる心に私は尽き果てる。
君の手に触れて、仄か夢の痕。
そこに山があれば私は旅人となり、
そこに畠があれば私は愉快な小童となり、
そこに海があれば私は明日に黄昏れる青年となる。
旅人は振り向くことなくただ先を歩み、
小童は無我にひたすら飛ぶ鳥を追いかけ、
青年はぼんやりと日没のうちに明日をみる。
私が旅人となれば人は彼自身の影を憂い、
私が小童となれば人は情欲に足踏みし、
私が青年となれば人は土を掘り返す。
旅人の行く先鋭に乱散の風裂く陽天の船首ありて、
小童の駆ける空に色濃く染むる夕べ模様、
青年の燃ゆる心に私は尽き果てる。
君の手に触れて、仄か夢の痕。
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otonarikaminari
静かな時間
巨大な岩陰に立つあの人は、其処に隠れて大いなる海を静かに見通していた。私は彼の人を知っていた。物静かで何を考えているのか分からない、ひとり沈黙の中で涙を流すような、そういう人だ。あのような人を見ていると、私は自分と同じ人間を見ているような気がしない。そしてこれは決して私だけじゃなかった、私の通う大学の多くの人が、何か見慣れぬものでも見るようにしてあの人の様子を長い間伺っていた。陽気な好奇心に勝って緊張感のある不安が私たちとあの人の間の心の橋を風となって揺らしている。海辺よりほど近い私の住む町が新年を迎えて朗らかに賑わっていた頃、あの人も同じく人交う町を歩いて楽しそうにしてあったが、珍しくそのほんの僅かな感情が霞んで顕れるのに私は敏感になっていた。それは時に人の魅力のように思えたが一方で恐怖心を起こす人の心の洞窟である。私はこの人へ関心を抱く必要の全くない事をそれから悟った。人の闇を照らす明かりなど私とて持ってやいない。以来、恐らく数ヶ月のあいだ私はあの人のことを忘れかけていたのだが、この日この海辺でちょうど見つけてしまった。それも随分と感慨深い状況である。海は広く、大きい。深く快く眠っているような海の静寂が私を引き止めている。それに対峙するあの人は、これから何をするつもりなのだろう、きっと何もしない、親しい友人はいるのだろうか、どういった会話をするのだろう、などと他愛ない想念を働かせて私を手持ち無沙汰にする。人間誰もが一日に一度や二度は可笑しな事をする、という何方かの言葉を憶い出したとき、私の視界は少しばかり澄んで見えるような気さえした。大学の講義で教わった事の暗唱でもしているのかもしれない。静かな時で熟した果実はおのが才分を溢れんばかりに宿すと云う。 彼の人が猛然たる大波に呑まれてそれでも立ち続けるというのなら、その時、私は独りの人間を見るだろう。なあ、君も予感しているのだろう。私と同じものを。
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otonarikaminari
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