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砂漠の王子

自然の摂理にあしをのせ
大人への 道なき道をゆく
神秘なる大地をゆめとみて
かたちなき日々を越す
与えられた涙はこぼれおち
砂のきらめきに消えうせた
右手の杖はその名を知られぬまま
古びたげんそうの脚となった
さすらいの王子よ
あなたは何処からやってきたのだろう






祈り

新しい芽もいずれ摘まれる。このような比喩に負けない人間ではなかったか、お互いに踏み扱いた土地に可憐な花を咲かせようといって、必ず倒れまいとしたあなたは何処へ行った。

生活の仄かな記憶は深夜のさすらう雲に被われて消え去る。この土地だけが私たちの影を繋げ、そこには確かな環があった。遠くはなればなれになった人間たちは、夜空を見上げ、彼らに特殊な輝きを与えてくれる星を通して、結ばれた星座のように、互いに語り合うという。彼らの心は逞しい。それほどの逞しさを、そして互いには心強さを私たちは持っていたが、それはしだいに小さくなっていった。

私はこの土地に棲み、あの丘で眠る一人の人間だ。森では夜な夜な狼が存在を知らせる如く吠えている。あなたはさながら奴らのようには吠えることができない、私もまたあなたの声を聞くことはない。頼りの星もない。高い丘に登り、あそこならあなたに、自分の存在が届くといってさらなる高みを目論んで飛ぶわけにもいかない。無力の手札で私はあなたの全てを放棄すべきなのか、いや、どうか良く生きてくれたらと、ただ願うばかりです。

無意味

夢の中で(未来の)嫁が出てきてあの有名な詩を読めといった。弓形の月に照らされた部屋の中で詩を読みながら、私は死ぬのが恐ろしくなった。黄泉の世を想像し始め、いよいよ目は眩み、闇黒の夜道を彷徨うみたいに部屋の中に狂気が走った。その端に微かな炎があった。それよ、そこの炎よ、どうか近寄らないか。私はそれらしきを呼んでみた。余命も僅かと言わんばかりの呼吸が力を増すと、私は最期を悟った。夜空の微かな炎が照らすのは、夢と黄泉の架け橋だった。

allegro con fuoco

私のそばにお前の姿はなく、私は部屋の明かりを目一杯ともして平坦な時間を流し始めた。聞き飽きた音楽もそれなりに居心地ありとみてそのままにしておいた。日の沈むのを眺めるように長い時間だった。私はこのまま眠りに就くだろう、それで良いと思った。簡素な一日は今や終わろう。茫然とした私の目の前には、私の新しい心臓が置いてある。朝焼へ、はやる心も寝静まれ、明日の便りが届きますよう。

火事

白濁の煙が道路を覆う、火事の現場を初めて見た。小路の奥で見守る人群の中で、噂を聞いた。私の背後に寺があり、今日はこの街で御会式が催されていた。街の喧騒と静寂が隣りあわせであるかのように、私は不思議な気持ちで二つの脈動を、単に心の中で往来する。交通規制が為された表通りから中心街へ淋しく歩くにつれ、二つの脈動も各交通の要所を失っていく。煙が消えるように、それに応じて見えたのは街の小さな呼吸であった。

古来

自己に打ち克つといわれる。自己の内に最大の敵が潜んでいる。また我々は人間の野性を知っている。此の世には碌でもない奴らが住んでいる。身の回りの平安を望む人間としては、敵の存在は私を動揺させる無価値な、除外すべき障害だったかもしれない。自ら良き道を歩んでいるという、生の感覚の中で与えられる死はまるで人の影のように客観視を拒んでいる。自ら正しき道を歩んでいきたいという、心強き意志の中に潜む愚鈍な怠惰は私に忍耐と努力を与え続ける。それらの道を阻む他の人間がいる。私も彼らも反抗心で絶えず煮え滾るが、私と他と相対する限り、それがまた、我々を高みへと導くだろう。我々の過ちは、その将来が自分の下で、確かに数えられると信じてしまうことである。

去来

老年の高貴な声を聴けば、私にとってそれは瞑想のようなものである。シューベルトの即興曲が孤独な家から聴こえてくると、もう残ろうとする影もなく、砂のように跡形なく消え去ってしまう微笑みだけが思い浮かぶ。ありがとう、さようなら、という声もなしに行ってしまわれた。その代わりの音楽も終わった。十月もやおらに寒くなり、街中の喧騒を少し遠くから眺めたいという気持ちに私はなる。私の未熟な所作とは対照的な老心の如き精神の趣きが恐らくあるのだろう。それが全てではない、現在の心境は目立った真理を示すことなく、とても秋らしいと私は思う。

stream

人の話を聞きながら、同時にその事について考えることに私は慣れていない。ちゃんと聞いてる風な相槌を入れて、直観から形成された感想や推測なりを伝える。それらが実のところ以前の我ながらの判断で、要するに急用に適う服を箪笥から探してみれば、その奥で都合の良い服が見つかったという程度に過ぎない。後々省みれば馬鹿げたものに思える。本来話すべきことなど極めて少数で、意見を交わす対話を除けば、多くの時間は雑談で費やされる。雑談が多くの場合に有意味であるにせよ、その内容ほど無益なものはない。それでも不思議なことにそうした会話でさえ誰も手を抜いたりしないのは、人々の思い遣りのゆえであろう。

eachother

私たちは話し続けた。少し経つと私は表情が硬直し始め、話題が楽しいのかそうでないのか分からない。なんであっても、私は静かに笑う。その仕草は腕だけを鍛えた歪な人間のような偏屈を思わせる。実際に私はとても不器用で、全身体を運用させる柔軟な人間の対極に位置づけられる。私の技巧ちない動作は滑稽で、さながら幼児が遊戯に未だ慣れていないときのように、片方を動かせばもう一方も動いてしまう。左の手腕で袋の物を漁る時、右のそれも微動する。物を書く時、もう片方の指が無為に動く。幼い時分の名残だろうか。相手がコーヒーカップを手にとったとき、気づけば丁度に私も自分のものを手にとっていることがあり、それで恥ずかしい気持ちになった。

探険と蒐集

哲學徒の友はかつて、哲學書に限らず、あらゆる分野の書物を読みたいと言っていた。私はそれは限りないと注意した。リベラルアーツが果たして趣味と呼ばれるのを知っている。それは時に衒学という名辞を添えられもする。それに対するミニマリズムも、それに対する限りにおいて無意味である。膨大なデータを収集したところで仕方がないという疑念は解決されている。世界の深淵を覗く偉大な賢者は、その必要に応じてデータを収集する故に結果的に知識が膨大になるのである。