千代の月
草原に吹く風の言葉も、砂の言葉も分からない。追い求めた非凡が故郷を雲居のように遠のかせ、悟り着いた平凡が愛を燃やす。香ぐわす愛情のなかに、その名を知られぬ煙があるだろう。星々が陽光の衣をまとうとき、誰もそれに気づくことなく、星は輝きを再び取り戻すようにと願う。弓張の月が山の端に入るとき、想念の鏃は彼方の雪山を越え春の花を射るだろう。大晦の酒の宴で人々は往日の話で盛り上がる、そのうちの刹那、盃から溢れでる酒の雫は唯々人々の去来を移し出した。月よ、まだ盃を交わそう。尽きることのない話に病み付きになって、あくる世を侘びて待つことなく、わたしはどこから来たのだろうと、いつかの子どもさながらに自問する。夜が明けねばとけぬものも、それだからとて自ずととけるものではない。よもや雪の上とは思わず、文明開花に宴する心猿の人々は身の皺を忘れて走りまわる、転がる姿に飽かないで、雪解けどきの墓参り。月よ、まだ隠れてはならぬ。画家は眠たげなる目を晴らせて、儚くも去る者を掴むように疾くとその姿を描き留める、天文学者よろしく予期する者は、春のように、その閃きに涙する。
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otonarikaminari
冬はまだ眠らない
風の残した擦り傷、透明な冬の繊細さに人は心を奪われ、持つ必要のないものまで抱える、眠っていた野性が不覚に滲み出すと、深睡の闇夜に引き摺られては戻ることもない。星飾りの光から離れた家路は無邪気の懐かしさを与える。忘れていた面影を蘇らせながら、束の間の灯火が夢を与える。夢、今こそ季節の思向きに従って、熊ならちょうど似合うという、大きな夢見を受け容れるのも悪くない。冬の星を着飾った樅の樹の下で、人は童子のまなざしを輝かせ、現実を忘れて朝の目覚めをおもっている。冬はまだ眠らない、針のような冷気も、灯のような暖気さえ人を動かすことはない。さあ、冬の月よ。続きを聞かせておくれ、ながい夜に、とっておきなやつを。
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瞑想
大晦日まで数日となって、親しみ慣れたこの町もあの部屋も、始まりも言わず、終わりも告げぬ瞑想なる時で充ちている。気づけば染みのある衣服は幾年前のものかと思う。時間の過ぎ去るは早いと日越しに不満を抱える者のように、背負い切れぬ悩みを持ち続ける必要はない。おさがりを着た子どものように、大きな物陰に幼稚に身を隠すこともない。自分に適う悩みがあり、或いはそのように切り分ける、それは平凡であるが、しみじみと夜を充たすほど明るく、時として頼もしいとさえ思う。
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影ながら
友を祝うように年末を迎えよう。紙吹雪の舞うさなか、何気ない言葉を交わしながら右手の手紙を友に渡し、心残りはない、来年も宜しくと言ってその場を去った。寂しさか、楽しみか、誰の顔も見ずに去った。友よ、私の言葉は届いたろうか。舞踏会に忍んだキューピッドよろしく、場凌ぎの会話に潜り込んだ私の言葉は、今やあなたと二人きり。何者も邪魔をすることなく、実の宿った対話ができる、これ以上ない機会だと、そして本当に、もう二度とないと分かる。まるで今夜、温かい柚子茶を飲んでほっと眠りつくように、受け取った言葉が一夜限りに心を温めさえすればよい。感動の想い出はいつだって儚く、思い出すのも困難なほど虚ろである。いつか語り尽くすこともできた苦悩も、冬に応えて色褪せて、木枯らしの掠める寂寥たる頰に赤みを残し、曇り空の似合う道端で踏みしめる忍耐の中では散りとなる。離別においては、誰一人退がるものはいない。惜しむ心を贄にして、旅立つ友を祝うように年末を迎えよう。受け取った言葉を大切に置き去った、あなたの歓喜を私は知っている。
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otonarikaminari
眠りつくまえに
まだ雪も積もらぬ内に目を瞑る。季節外れの陽気が駆り立てる眩暈、寒気の戯れは病いを呼ぶ。身体が思うように動かねば、また私は転げてしまう。心が動くように思考せねば転げまわり、意志は止まれと手間を取る。水面を走る風のように障りのない会話だけが師走を過ぎていく、あなたに切ることができるなら、虚しい時間は短く切るといい。
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航海 I / Ⅱ
航海 I
航海 II
波しぶきが冷たい。青年は昼はひねもす読書に没頭している。平穏な太陽の下、あれほど社交上手な青年がこれほど静かで、そのあいだ、彼の想像は海を越えた恋物語へ発展する。遠く離れて初めて気付いたが、私たちを隔てるものは巨大なのだ。恋の大海原よ、大海原の恋よ、私はその船乗りだ。いつか辿り着くところが恋の行方、昼と夜の奈落を跨いで帆船はまっすぐに進む。大切に抱えられた手箱を見せながら老人が語るのは、かつての恋、水の中にある恋の話だった。なんて不思議な話なのだろう、海の中にも恋があるらしい。夜深し月の眠りを待つように、夜空を見ながら青年は、今日も物思いに耽っている。
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室内楽
絵の上手たるを由にして聞く名、葵と呼び、珈琲に誘う。店内を見回す終いに窓の外へ目を遣るとき、篭りがちな瞳に陰翳を当て、彼女は言う。
「ねえ、悔しいわ。私には敵いっこないもの。貴方の絵は素晴らしいのよ、何がって、貴方の絵には必ず思想が根底にあるんだもの、そしてそれが自ら絵の表現を支えている、そこね、そういうものに無思慮な芸道は及び得ないと思うの。私たちは自慰行為の頻度が過ぎてると思えば、先ずは一日だけ止めてみて、そして次に二日に進むようなものだけど、何も考えずに停止したって収まらない。昨日ね、私はこう考えてみたの。果てしなく、そして儚い人生が朦朧として曖昧で、兎に角、私にはなにも見えない状態で、だけど、ずっとこのままなのかな。もし、私がこの雑然たる人生の中で一つの或る確かなものを見つけさえすれば何か変わるだろうかって。ねえ、全く無秩序なキャンバスに、真面目で面白くもない三角形があるのを想像してみて、でも白いキャンバスじゃダメよ、だってそこには見つけるものは何もないんだもの。もっと、そう、煩雑なキャンバスの中に、何よりもはっきりと三角形があるの。たとえ私が無思慮で、それでここまでなんとなく生きてこれたけれど、だけど今が本当よ。私はもう、私の人生はもうずっとこのままなのか、このまま退屈と享楽に果てるのかなんて問いも不安も、さながら黄昏の夕陽のように消えていくのを見ている。私はもうそんなロマンスも、そんな絵ともおさらばするの。ねえ、貴方の絵は夜なのに、どうしてそんなに明るいのかしら。答えなんて見つからなかったわ、答えなんていらなかったもの......」
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芸術家
どんな壮大な音楽もそこで響かせては悲哀を帯びる。広大で無慈悲な白い地平線に、少女の赤らんだくちびるが添えられた。
弦楽の郷愁、白雪への望郷、重厚な鉄鎖が狂気の、鋭利な世界の幕を開ける。弓は地を這い、喇叭は狭い空をせめてもの力で満たそうと......
冬が来る、それは確かに分かった。
色の移ろうこともなく、花も血を欲しがるように白い。祖母の秀れた話を炬燵に入って聞くこともない。敬うべき老人たちは消えて、舌切り雀の傴僂が俯いて寒そうに外を歩いているだけだ。彼らの話も聞くべきか、それが従うことならば。それが反抗することならば、血の騒ぐ思いに駆られ、我々はそれが終焉の合図だと悟る。運命よ、己れが血は迷っている、見えぬ道を定め、冷酷なる雪原を赤く染める黄昏の陽を与えよ。雪搔きを手にした老齢の芸術家が、血の通わぬ脚でこの苦節から抜け出さんと導かれていく、その先きの介護人の無慈悲な瞳。無念、死にきれぬ、陽を与えられた者が陽を受ける力を失った、陽光もて立ち上がる朝を失った。破壊は厭世に捧げられた、伝統は崩れ落ち、黙ったように力なく降る。選ぶことなき冬の花を見ながら、私も黙ったそのままに眠ろう。いつかの雪解けを待つように、いまは重たい夢が、自然に飛び立つまで。
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otonarikaminari
移ろい
鎧山から見下ろす雪野原に、点として燃える星たちが、人の営みに影を与えている。あそこに夏の懐かしさ、ぱちぱち鳴らして走り去る閃光の花。向こうの川を流れる想い出の紅葉が、冷たい水に触れる少女の手許に乗った。それは遠いかなたの恋人へ瞬時に送られる、その、なんという愛の翼が羽ばたき、瞬きの内に彼らを包むだろう、なんという網状の構造体がわれわれの生活を貫いて、滑走する闇夜のように広がるだろう、涙は流れ、世界の拡大する手から零れ落ちるかつての約束が、まるで幻想のように砂漠に煌めく。
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冬の花
年果つる月明かりもて此処に記すは常しえの手ざわり、霜月更けて忙しなく、吐息の空へ広がり至る時分、冬はお読みになりませんか?この冷たい風が貴女の頬を染めたのを知らせます。その頬が雲間から出てくるなら、私は夢の途中でも目を覚ますのに。貴女が此処に居ないなら、時でさえ触れられぬ貴女の変わらぬ姿を思い浮かべることができる。しかし私に許されたその束の間も、流星のように儚い。仰いで息を渡らせたなら、もはや星の涯なさが沁みるだけ。
みんな去っていった、それは確かに分かった。誰もが変わらぬ幸せを願えば、それに適う現実を探し続ける。幸せを手にしたところで、未だ幸福を探し続ける者がいる。私の身体を二つに分けることはできないと、心だけ添えて送れば、たよりなくひらひらと剥がれ落ちる。誰もが愛の洞窟に住んでいるとき、一人だけ住居の材料を採りにいったところでなんになろう。人々の間柄はさながら自然が築くように与えられることはない。時に破れる恋ならば、愛の芽の咲く季節頃。風吹けばなんてことのない地肌が顕れる具合に、虚しい心のフィルムを映写機で回しましょう。映し出された画面の奥から人が近づいてくるなら、人間の変わらぬ姿がきっとある。燃える情念の焦がれ果てたとき、雄大なる景色が広がるなら、私の変わらぬ心に相応しい。
貴女の言葉を思い出す。私は熟する果実の色を知っている、歳を摂るにつれて貴女はより美しく、にじむ色の趣深く、いっそう魅力的になるのだから、爺さん婆さんさながらに盛衰を謳うなどせずとも、強き心もて、朝の珈琲と夜の深睡という二本の脚が動く限り、いつでも美味しいものへと辿り着く。その途、きっと麗しい花咲いて、また、ぼくにそれらを摘ませてくれますように。
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otonarikaminari
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