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前夜

きみはだれ
きみはぼくらじゃない
あの言葉...
あっちいけ あっちへいけ
はなれ きりとり わかれ きえゆく どこまでも 
どこまでもとおく ひろがって
あの果てへ 
ぼくらのしらないあの果てへゆけ!
天の川を越え
アンドロメダを越え
くだけ かさなり うもれ かわりゆく
きみはぼくらじゃない
あの声を...

丸く輝く月の夜に
静かな横断歩道の前で
男の子はかなしくて泣いていた
青信号になっても
一人静かに
そのままに泣いていた
横断歩道を渡り
先へ歩いて振り返っても
男の子はかなしくて泣いていた
あのまま動くことなく
遠ざかっていった

あっちはどこまでも遠かった
果てを探していた
止まりたかった
どこまで歩いても
どこにもなかった
空飛ぶ鳥はどこへ行ったのだろう
アンタレスはいつも同じところにいる
同じ世界のなかでは
あっちはどこまでも遠かった
はじまりもない おわりも
輝きは失せ
やがて暗やみ
尽き果てる
カタストローフ
そして
目醒め

特殊な生について

緊張感のない生活では自己の欲求を満たせない、従って生に満足できない人間がいる。いわゆる、自分を追い込むということでしか生きることのできない人間がいるのである。私もまたそうであると思う。緊張感はしばしば誰かによって、誰かの指示や誘導によって与えられるが、私が自由を好む人間であることを鑑みれば、単に隷属的関係を求めているという観察はすぐに拒否される、また彼らによって与えられる緊張感というものが過分で異質なものに思え、時に重圧と感じられるときさえあり、どうかして私は飽き飽きしてしまう。自由という尊い地層を対象にするとき、私には人間としての制約や経験の制約が自ずと与えられてあり、それも日々与えられ続けるが、私はそれを早々と隷属的だと見なしたりはしない。それと同じで、自分を追い込むことによって己れの自由を奪っているなどとは言わないだろう。むしろそれは自分の生を満たし、他にも考えられたであろう無数の魅力的な生き方と同じように自由であるということを明らかに示してくれるものなのである。老練の達人が都合良くそうした悩みを解決している風にみえ、また彼らが老いるほど彼ら自身熟練の炎を未だ宿らせているのを見れば、あなたは安心して己れの生を全うしてもよいのである。
しかし、それでも満足しない、それでも他人の生き方に常に魅了され、己れもああして生きていたいと思うならば、それは素敵な悩みに違いないし、それは自身の墓場まで伴するような悩みであろう。

日陰

夏が好む原色さながらの景色という点でも、人間の軽やかな服装という点でも、夏の装いがますます刺激的になってみれば、通り過ぎる見知らぬ女性たちを見て、見目形麗しいだけでなく、たとえその姿にこれといった魅力を感じないとか、或いはその姿が不快感を与えるようでも、それぞれの性交をぼんやりと思い描いてみた日があった。その都度、人間は可愛らしいと思う。誰もが誰かに愛され得るのだ、とそうして納得する。性交は私の乏しい想像力がこしらえた一つの型であるのを知っているから、愛情の豊かな可能性が誰の表情にも潜んでいるのだろうと予想する。

だからといって、一人の人間を絶対的な伴侶として位置づけるようにわざわざ命じられたわけでもないにせよ、或る誰かを好きになり、誰かを愛し、誰かに恋することに変わりない。従って、私は然るべき可能性がその人にもやはり存することを確認するだけで、依然として、私と相手の魂の距離は身体で感じるそれよりいっそう遥かに遠いのである。この知り合うことのない心身の距離感は、むさ苦しい夏が汗をして人間を不快にさせて止まないときには、幾分潔いとさえ思えるものである。

炎夏

いつになく深い淵に追いやられた挙句
捌け口も見当たらぬ窮屈なこの寝台を
炎夏の大地よろしく火祭りに仕立てた
己の呼吸は詰固し肺はもはや廃れ終い
這い蹲って到り得たこの場所は何処か
朦朧たる意識をしてなけなしの注意を
決死へ注がせんとするその背の影は!

いつまでも勇猛であったお前が
いつまでも果敢であったばかり
灰塵の煙立つ敷居の空蝉が痕を
鋭く美しい膝に刻まねばならぬ
どうしてお前がここにいるのだ
天つ空で悠々としている奴等が
最も恐れていたのはお前だった
人間の渇いた心の恵みとなれば
清き心を友として映す鏡だった
燃え裂かる悪しき欲望を沈ませ
純真に生きる者達を彼方へ運ぶ
無辺に舞う風は戯れの友であり
思慮に耽る雲は精談の友だった
お前の雄大なる心は海のように
お前の繊細なる心は波のように
変幻なる心で叡智を創り上げた
お前がここにどうしているのだ

オマエラノ
アタマトオシリヲ
カチ ワッテヤル

清澄の身を剥いで強欲へと駆り立てる
悪しき脅迫が目を眩まして地を揺らし
意志の船首を忽ち灰にせんと息込んで
夢をみる航海者が微睡むのを舐めずる
野獣の思惑が至る処に糸を張っている
奴等の夥しい轟音の輝きが聞こえるか
奴等の傲慢を己等はこのまま許すのか
どうして我々が今や此処で出遭ったか
それを知るのは勝利の呼吸だけなのだ

呼び醒ませ生命を
深緑の滾らす神秘!
暗い森を越えた先
原古の青き鼓動に
心髄を触れさせよ!






夜風

窓から外に手を突き出して、いや、何も要りませんよ、ただこうして手のひらを広げているだけで風の産毛に触れているような心地になるのです。
窓を少し閉めて瞑目すれば、暑い夏の夜風よ、さようなら。何をはこんでいるのだろう。おうい、君たちはどこへ行くんだい。彼等は、そうだ、また戻ってくる。ここにいたらいいのに。

未完の恋文

ふと思ったのだが
坂道は夏に合うね
夏といえば坂道だ
そう言っても不思議じゃない
汗もいっそう滲み出る
坂道といえば工事だ
カンカンと音が照り造る
工事といえば火花だ
火花といえば花火だ
花火を見に
あの海辺へ行きたいなあ
花火さながら記憶は刹那いが
あの海辺のことなら忘れまい
海といえば青だ
青といえば空で
今日は空が青青として
高く茂る木の葉を深め
道交う人の感情を
ひときわ彩るようだった
今日といえば二十三日
タラヨウの葉を見た
ふみの日だそうだ
ふみの日といえば...

あゝ ふみちゃん!ふみちゃんふみちゃんふみちゃんふみちゃんふみふみふみふみふみふみフミフミフミフミフミふみちゃんふみちゃんふみちゃんふみちゃん



私と宇宙

午後の陽射しを受けた頭蓋骨はカチカチと鳴り、脚の骨が皮膚から突き出たような無気力を気怠い夜の風にさらす。始発電車に乗って、海辺の銀河を見に行きたいと思った。

宇宙。
人間をちっぽけにしてくれ、時に塵芥の五味にする。安心と虚無が日夜のように顕れ、私もその渦に呑まれたことがあったやもしれない。然れどそのつど私の腕を必死の思いで握ったのは、私自身であった。
私のことを宇宙から眺めるような生命体が私たちを五味屑だと思うだろうか。高貴な主観によって私はこれらを書くことができる。もしそれがなければ、私でない誰かがいつか書くであろう、と言うかもしれない。しかしそれもあり得ない。なぜなら誰も書けないであろうから。さあ、誰も書けないとはどういう意味でしょう。夏の夜明けは兎角早い。

人間観察

ある活動に対して、すべきではないという消極的な意向は多々あっても、すべきであるという積極的なそれは少ない、いやむしろ他を包括する形で一つしかないほうが良いときがある。なぜなら単に積極的なそれを私が幾らか抱えると、私は途端に疲労するからである。それは幾つかの意向を包括するさらなる意向が要求されるからで、私はよりいっそう険しい山頂を目指さねばならぬであろう。私はそれを必要とする場合もあるが、軽率にはできないものである。ところで私は積極的な意向と消極的な意向とがあり、それが如何なる性質のものか、或いはそれが私において如何なる性質のものかを問題にするのであって、物事がこれら二つに区別されると言うのではない、なぜならそのとき問題となるべきは物事だからである。ある事柄を遂行しようと思うなら、それ以外のことは排除すべきであるとは言わないだろう。

(ⅱ)
対人関係における重要な要素がある、それは共通性である。対人における関係を展開する為には共通性が大きな役割を果たす。この必要を興味深い形で示すのは、我々が互いの間の偶然と呼ぶところのものが関係構築の初期に極めて頻繁に乃至重大に見出されるということである。重大だと見出される事柄が実際に重要であるかに関わらず、我々はそれを正しく「お互いの共通点」として呼んでいるのである。
またさらに、それが各々意識されることはないという意味でより内的であり、そして互いに共感を呼び覚ますものとしての共通概念がある。たとえそれがないか、少なくとも見出されなくとも関係は上等に展開され得るが、それが共感という形で見出されるや否や我々は偶然性における以上の強い感動を得る。我々は意識せずに対人においてこれを探そうとするが、共通概念は全く「深い」内容を持つ必要はなく、従ってごくふつうの意味によって形成されるのであるから、例えば「人間関係には誠実さが大切である」と二人で互いに理解し合う(というよりも共感し合う)ならば、彼らは不誠実や信頼などといった周辺的なものに対しても互いに敏感になるだろうし、実のところ、概念に関する各々の理解が深いところで異なるものであるということもまたあり得るだろう。重要なのは共通性が方向づけを与えるということである。我々は共通性を深めたり、そこから共に派生させていくなどして良い関係を構築することもできるし、また逆に期待に沿わないということから関係が悪化してしまうことさえあるのである。

私は半ば恣意的に「お互いの共通点」と共通概念とを区分して述べているが、この区分が明確であるか、重要であるかは今のところ考えていない。いずれにせよ我々は関係構築における共通性というものが興味深いものであることを知るのである。

(ⅲ)
人間関係において各個人が各事情に明確さを求めることがある。「なんでも言ってほしい」というのがそれであり、また従って「私も言いたいことがあれば必ず言う」という。多くの人間は言いたいことがあっても言えないであろうし、なんでも言われるのは苦痛である。しかしこのことは極めて漠然としている。言いたいことがあっても言えないのに、なんでも言うことが出来るのは矛盾である。では、別の方向から考察してみると如何なるかな。私は相手に言えないことがあるのを知っている。そしていつかそれを言うことが出来た場合、それがどんな結果になろうとも彼はすこぶる安心した気持ちになるだろう、従って、私が「期待する」ことは、彼が彼の言えないようなことを彼自身から私に伝えてくれることである。この期待から私は彼を手伝っても良いと思う。つまり、彼に婉曲表現で問い質すのでなくて彼が自然と伝えようとする方向へ導くことは、互いにとって有益であるかも知れないのである。この点から考えれば、なんでも言われることで苦しむことはないだろう、なぜなら我々は彼にそれがいかに互いに害であるかを忠告し得るからである。
明け透けに物を言う人間と言えないことのある人間とが別に存在すると私は考えない。先の期待が無力であれ、私はこのことを知るだけで人間関係の妙に入り込んだと思える。私が彼には言えないことがあると思いなし、もしも彼が言えないことをすべて言い尽くすなら、私は彼を優しく受け入れるであろうし、以前に恐らく抱いていたであろう不安と恐怖から解放された彼が幸福になるだろうことをも想像する。私自身の場合も然りである。言えないことを言うことのできる「明確さ」と明け透けに物を言うことが同じであると、どうして言えようか。

このように私は幾らかの思念を現在同時に抱えている。先に述べたように各々を精緻に述べることは骨折りであり、それゆえ今や説明不足は否めないであろうが、私は眠らねばならないのでこのへんで。

予感

虚ろなせせらぎは海原の夢をみつ、驟雨に攫われた不信のかがやきは豊穣なる宇宙のよう。


情熱

きるものもない 野性
夏の凪の深きを睨み
焔の山に 詩を嗅ぎつける
殻をば破る性徴なく
万朶の陰を 吸い尽くす
こつぜんたる美しさ

夏色

どこへ子どもは行っただろ
どんなあそびを見つけたろ
あなたに放られた 
あそびの道具
見る目が廻れば 仰ぎみる
高くそびえる 都市のビル
近くを通れば 映画館
遠くを覗けば あれだ
ひと際立った あの世

これが建物だと 気づかないのだ
いつかの洒落た人間が
こじらせた建物だと
見ろ あの建物を突っ立ち見やるぼくを
カラスの観察者と見なすものの過ちを
都市の一部にすぎない建物が
主張するのは未だない個性だ

個性よ!
自ずとあらわれるものよ
幽霊さながらあらわれて
幽霊のように消え去って
それが忙しい君の運命か

幽霊よ 教えておくれ
君は一体何者なのだ
幽霊は 丁寧にあらわれ言った

色好みの 桜よ
お前の秘してもつ桜色が
発色するのは俺が為
どんな人間にも分かるように
君の素性を
表舞台にやるのが俺の役目

いくら遠く放っても
放っておけやしない
梢に茂る葉のように
ひ弱であればあるほどに
見やすく 親しみやすく
頼り甲斐のある枝だ
どんなたまもの なんだって
ひ弱なところがあるもんで
なにも無闇に折っちゃあいけねえ

夏の浴衣に
見覚えのない数字が止まっている





深夜

夜寝て夜起きる、それが彼の生活であったとき、間欠的に繰る本の頁が八畳部屋の夜を支配していた。波が常にあるように、人の寝静まった時間を一人で起きていると、それが朝や夜など、ある一日の時間帯だと思えなかった。一日と一日の狭間に座す混沌だと思えば、それが彼の些細な物事に一々囚われない感情と一致するということから彼はその考えを採用し、またそれでいくらか過ごしやすい気さえするのだった。意識することはなかったが、深夜は彼にとって最も居心地の良いひとときに違いないのである。部屋の窓に忍び込む月の光が最近の五月晴れを想起させる。あれだけ晴れたら梅雨ということも忘れるだろうと思ったのも確かで、やはり梅雨のど真ん中にいるというのを少なからず忘れているようすで窓を大々に開け扇風機をまわし、ベッドの上も身につけるものも常識が許す限り簡素にして寝そべっていた。手が届く範囲で最も重いものといえばまさに彼が読んでいる本だが、風の舞い込むのが手を添えた本の頁のひょっとした重さで分かる。それがなんとも軽やかで美しい。寝そべって姿勢を変えながら本を読む癖は子どもからのもので、そのくせ最も持久性のある状態は知らなかったが、最も心の癒される姿勢といえば仰向けだった。それは夜空が見えるからで、今や月が久しく顔を出していて、まるで恋仲の男の子と女の子が授業中にするように、時にちらりと目を合わすのだった。

彼の住む町は大きな静寂の眠りに就ていた。家庭用電気機器のランプが点いたままだったり点滅したり、マンションの入口もそれにいくらかの高級感を与えるような入口の照明も同じように消えず、この町の有用性が隅々まで大いに満たされていることを示す一方で、横断歩道の信号機は自分の使命を半ば諦めのていで赤信号のままである。マンションの入口から丸く歪に肥ったごみ袋を片手に明日を予感させる身なりをして女が出てくるくらいで外はどこも人気はないにしろ、マンションやアパートの窓からぶちぶちと人間の多様な生活が漏れていた。地に溜まったノイズと対照的に澄んだ空を雲が控え目に漂っている。わけて目立つものもない夜空が人々を安心させるのだろう。それを知っていた月も余計な虚飾を避けるようにただくっきりとした様子にみえる。晴天の暑い午後と異なって少し熱気を含んでいたものの穏やかに心地良い大風が町を滑っていた。辻道を分かれた青い風が彼の部屋の窓に入り込むと、彼の白い腕をやさしく撫で、開いて置かれた本をいたずら気味に散らしていった。仰向けになって天井をながめていた彼は風の軌道を追うように窓の外を見遣った。

七夕

頭痛がおこる 梅雨のにおい
灰色のそら
湿気があそび心で 蚊を描く

施設放送が流れ
人が流れ 花は枯れ
誰もいなくなったベンチで
本を読む私の足の上を
一匹の蟻が這う

豊かな色どりのなかで
「幸せに過ごせますように」と
雨は七夕の短冊に判をおす

蚊取線香を足もとに置いて
物音と雨音に挟まれて
旧い洋館の二階から
川面の波紋をながめみる
此処にいない私

幸せも
それを知らない人間には
さしあたり無意味である

岐路を戻る
読みかけの本の
手指を挟んだところから
よどみなく
最後まで読み切る私がいる







七月

「反対こそ、生きていることだ」

光晴は言った
そうだ 太陽の子らよ
反対することは
全く晴れ晴れとした一歩なのだ

学校に反対
健康 正義 うんざりだ
一緒になんて なるものか
そう なんて判り易い一歩なのだ

しかし少年よ いつか気づかなければならない
ぼくたちの歩む一歩とは 
反対方向のそれ 先生の影に隠れる
あの子らの一歩と変わりはしないのだ

砂埃にまみれるばかりの学校は
なるほど生きた心地がしないだろう
しかしまた 学校のなかで
真面目に育つ子もよく生きている

反骨精神を滾らせ荒んだ砂煙を尾に舞い上がる青年も
修業の道のなかで無量の足跡を覚束なくたどる青年も
これで正しいのかと 問い続けよう

「生きている」ことに正否を問うな

尽きせぬ不信のなかで唄うしかないと
少年 青年 少女に乙女
そして多くは大人までもが
かくして六月の曇雨にくたばってしまうのか

あゝ なんということだ!
このにぎやかな真実の星祭り 
雲ひとつない澄んだ夜空
しかめっ面の健康も時には
ほら あの笑顔だ

少年よ 真実というのは
お前が歓心から西へ走ろうが
いじけて東のそっぽを向こうが
依然として あの星のように輝いているものだ